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05年09月最終週の出来事 [今日の出来事]

早い物で今月ももう終わりです。2月から通所を始めたのになんだかもう5年ぐらい通っているような雰囲気があります。
でも気分的には、もう7ヶ月も経過しちゃったのか!です。
人間の感覚っていい加減な部分がありますね。

さて今週は特に嬉しいことがありました。
以前から駅のバスターミナルで乗り換えて、トラブル?になると助けてくださる方がおられるのですが(多分同じ方だと思いますが)今週もその方にヘルプして頂きました。
バスに乗るときには「杖で乗車口を確かめ」それから乗りますが、私の地方のバスは、乗車口がバス中央部に2つ(観音開きするので2人分という意味)あるのですが、時折自分が左よりの乗車口のつもりで右に乗っているケースがあります。この場合整理券を取る「発券機」が思った場所に無いことになるのです。
左側から乗れば左にあるはずですが、いくら探ってもないのです。
あれっ???です。
駅のバスターミナルはフェンスが設けられていて、降車口と乗車口の部分だけとぎれているのです。
つまりフェンスのない部分が乗車口のはずですが、時折バスの停車位置が大きくずれてしまい左右に移動しなければならない時があります。
こんな時乗車口を左右逆に思いこみ「勘違いしたまま」発券機を探す事があるのです。
この日もなかなか発券機が判らなくてもたついていたら「こっちですよ」と教えてくださる若い男性がおられました。
小声で「ありがとう」と声を出すと「どういたしまして」とはっきりと答えてくれた。
これはとっても嬉しい好意です。と同時に自分がもっとはっきりとお礼を述べなかったことを恥じてます。今度はもう少し、しっかりとお礼が言いたいな。
手助けをしてくれるのは本当に本当にありがたいのですが、それ以上に返事をしてくれたことが嬉しかったんです。
半年以上経過して、随分みなさんの手助けをいただきましたが、これほど明確に超えをお返してくれたのは初めてです。
もちろん何も返事をする必要はありませんが、自分たちはサポートしてくださった方がその場を去ったのが判らないので「誰もいないのにありがとう」なんていってるケースもあり得るのです。
このシーンを想像してみてください。
すごく滑稽であるとともに、すごくむなしいですよね。
でもそんな可能性がありえると想像してしまい、どうしても「小声で」お礼をいう事がほとんどです。
自分は相手が単に返事をしないだけ!(普通はしないのかな?)と考えているのですが、場合によっては頭を下げながら「ありがとう」と言っているのにも関わらず、それを聞いてくださる方がおられないなんて・・・寂しくありませんか?
つまり、返事をしてくれたこと自体がうれしいのではなくて(もちろん気分はいいですよね)この人はヘルプしてくれただけじゃなく「最後まで見守っていてくれたんだ」そう実感できた事が余計に嬉しいわけです。
皆さんもせっかく「お手伝い」をされたのでしたら「返事」をしていただけると相手はもっと嬉しいと思いますよ。ただ「いいえ」だけでもかまいません。何も言わないと「あの人はもういっちゃったのか?」そう思いがっかりする人もいると思います。
せっかく勇気を出して「お手伝い」してくださったのですから、相手をもっと喜ばせる方法を覚えていてください。そしてそれを実行して頂けると私たち視覚障害者はとっても嬉しく思います。

話は変わって最近施設に向かう途中「車がたびたび停車してくれます」道路を横断する時にはっきり停車してくれるケースはこの場所が一番多いですね。
もちろん止まってくれる方より、止まらないかたのほうが多いのですが、通勤や仕事で同じ道を走る場合同じ時間帯になるケースが多く私をよく見かけて気にしてくれているのかな?そんな風に考えてます。
それに引き替えて自宅近くは全く停車してくれる人はいません。
県道で比較的交通量が多いのも原因でしょうが、施設近くの道路も結構な交通量がありますから、やはり差を感じてしまいますね!!
もっと頻繁に出歩くようになれば違うかな?


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コメント 3

はじめまして。よろしくお願いします。
コミュニケーションをしっかり取ることの重要性は、誰に対してもいえることですよね。目の不自由な方へは、こちらが頷いたりするなどの身振り手振りなどをしても中々意思が伝わりにくいわけですから、はっきりと声を出して意思を伝えなければコミュニケーションは成立しませんよね。
思うのですが、「相手をもっと喜ばせる」ためにするというよりも、むしろコミュニケーションを取る上で、当然あるべき「相手に対する気配り」ではないかと思うんですよね。コミュニケーションを取るということは、相手が誰であろうと意思が伝わらないと意味をなしませんから、相手に意思が伝わるようにする気配り、そして「ありがとう」、「どういたしまして」の一言は相手に対するマナーというかエチケットが当然のようになされなければなりませんよね。ただ、目の不自由な方の側からは中々不安の残るところですから、そこは相手方の気配りに期待するしかないわけですよね。
普段から気配りはしていても、悪気は全く無いのですが、相手に対しては画一的な気配りになりがちで、結果実のある気配りになっていないこともあるようですね。このような生の意見が出ると改めて気づかされた思いです。勉強になりました。また、バスでの青年とのやり取りを新鮮に感じないくらいの社会になれば良いなと思います。
では、失礼します。
by (2005-09-30 14:13) 

いたずらバニー

私のくだらないコメントを読んで頂き感謝致します。
本当は自分の日記的な要素を主目的として始めたブログなので、このようにトラックバックなどをしていただくと、もっとしっかり言葉を選んで?書くことが必要かな?なんて思います。
さて「よろこばせる」ではなく「コミュニュケーション」として必要なんて書いておられましたが、本当に感謝致します。
自分自身が健常者の時には全くそんなこと考えたこともないのに、いざ自分が困ると「何とかしてよ」とか「してくれて当然」なんてついつい考えてしまう自分の身勝手さが、嫌で嫌でしかたありません。
どうしても自分は普通の人並みに出来ないんだから・・・なんて、考えている自分に気づくときがあます。
バスに乗ったときなど「善意のイス」と呼ばれるシートがありますが、誰かが座っていると「何で座っているんだ?」なんて考えている自分に気づくことがあります。その方も体が不自由かもしれないし、お年寄りなのかもしれません。それなのに自分勝手に「どうして」なんて考えてしまう私はやはり相当自分勝手なんでしょう。そしてそんな自分自身を戒める?為にも「当然」なんて考えは絶対に持たないようにしたく思い、その気持ちがあのような文章になっています。
現在私がお世話になっている施設の所長の口癖に「目が見えないのが障害じゃない」があります。
確かに見えないと不自由を感じる場合は当然ありますが、足の不自由なかたや、耳の不自由な方など、世の中にはさまざまな人がおられますし、健常者と思っておられる方でも「腰痛」や「肩こり」などで悩んでいる方も多いはずですよね?
そして運動神経が良くてプロサッカー選手になったり音楽的センスがありミュージシャンになる方もおられるわけです。
これらの方は他の人より優れている部分だけが目立つだけであり、逆に劣る部分は必ずあるものですよね?
そして障害を持つから他のことが「なにも出来ない」とか、他の人より劣るわけではないのです。
そんなことを力説してくれます。
私は当初「素直に」聞き入れることが出来ませんでしたが、同じ施設の仲間と接したり、一般社会に足を踏み出てみて、意外と(失礼)親切な方が多いことに気づき「自分でも何かできるかも」そんなふうに考えが変わってきました。そう考え始めると所長が盛んに力説してくれた言葉がなんとなくわかってきた今日この頃です。
プっちさんも「障害者」なんて重く考えないで気楽に?対してくださればそれが結果的に相手の為になるのですから、あまり難しく考えないでください。
お気持ちは本当にありがたいですが、もしプっちさんがおっしゃる社会が出来ても今度はもっと私たち障害者の要望が高くなり、今以上の権利を主張するだけだと思うのです。ですから気づいた方が少しだけ手を貸してくださるそれだけで十分なのかもしれません。
ただ、点字誘導ブロックの上に物を置いたり、たむろするなどの行為だけはさけて欲しい物です。そしてそんな人を見かけたら「視覚障害者の為の物ですから」と一言相手に伝えてくだされると大変助かります。
今後も何かと手助けをお願い致します。
by いたずらバニー (2005-10-06 22:43) 

コメントありがとうございました。あいにくご投稿頂きましたコメントと記事欄がそぐわないこともあり、私の場所からは別に記事スペースを作り、そちらに転載させて頂きました。申し訳御座いません。

「「善意のイス」と呼ばれるシートがありますが」というお話ですが、どうも我々はそこが何か特別の聖域のような捕らえ方をするようなことがあります。「善意のいす」は、お年寄りや身体の不自由な方だけが使えるのではなく、誰も使う人がいないのなら、いわゆる健常者でも使っても良いはずです。もちろん、お年寄りや身体の不自由な方が見えたら、進んで譲らなくてはなりませんが。でも、これって、実は変な話ですよね。お年寄りや身体の不自由な人が見えて、座る場所がないのなら、いわゆる「善意のいす」でなくともどの椅子だって進んで譲るべきなんですよね。
私の自宅近くを通る電車には、優先座席の表示がありません。「全席優先座席」だからです。席を譲るのに優先順位をつける理由なんてないでしょ?どの席だろうと、必要とされている方に譲って然るべきでしょという発想です。私はこの発想が大好きです。

 その立場になってみて初めて気づくことも多々あろうかと思います。それはその人が持つ立派な財産です。「今以上の権利を主張するだけだ」と思われているようですが、確かにそういうことで疎まれることもあるかもしれません。しかし、先人たちがそうであったように、きちんと言葉にして相手に伝えることができるなら、それによって助かる人も増えるのだと思います。

「点字誘導ブロックの上に物を置いたり、たむろするなどの行為だけはさけて欲しい」・・・誠にその通りだと思います。自転車の違法駐輪などはホントに危険ですよね。ただ、私は、点字誘導ブロックはそれ自体が危険なのではないかと思います。点字ブロックは僅かですが段差ができますよね。それに躓いて転倒して怪我するんじゃないかと心配しています。鉄道総合研究所では、無線を利用して人を誘導するシステムを研究中だと聞いたことがあります。技術の進歩によって安心して街歩きができるようになればいいなと思います。

何だか脈絡のない話になってしまってすいません。
by (2005-10-07 00:10) 

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