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障害者の立場で世間を見ると [施設の紹介]

視力障害者と一口に言っても随分と症状が違う。
「全盲」と呼ばれ明るささえ全く解らない方
明暗が解る程度で色や形の判別は困難な方
一部分だけ視野が残っている方
「弱視」と呼ばれ日常生活に支障が出てくるほど視力の弱い方
など様々である。
更に不幸にも生まれつき光を感じたことのない方
元々非常に視力が弱く物を見た経験の乏しい方
事故や病気で大人になってから視力を失った方
病気で視力を徐々に奪われ今後に不安を抱く方
視力障害以外の身体障害また精神障害を併せ持つ方
などなど、本当に様々な症状と経緯があり一口でかたづける事はとても出来ないのが現状である。。

これらの人を世間では「視力障害者」と一まとめで呼ぶ。
そんな人を社会復帰や収入の道を探るために「小規模授産所」(授産所と書くので産婦人科の一つと勘違いされる時もある)と呼ばれている施設がある。
これは行政の認可を受けて支援されている施設です。
視力に障害がでると一般的には「引きこもり」がほとんどで積極的に社会に出て行く人は少ない。
視力が落ちると「仕事がない」「道を歩けなくなる」「風景を楽しむ事が出来ないので旅行に行く意味が薄れる」「買い物が自由に出来ない」「バランスを崩す時があり不安」「落とした物が拾えない」「食事が旨くない」(見た目で味が変わる、食べ物をうまく挟めない)「公共機関しか交通手段がない」「雨など天候が悪いと出かけにくい」など、
今の社会は視力を失うと出来ることがあまりにも少ない、それが現状である。
視力を失った精神的なダメージだけでなく社会全体が「視力障害者」の足を引っ張っている部分があるようだ。
中には「目暗は出歩くな」みたいな冷ややかな人も少なからずいる、
だがその一方で
行政が一生懸命行っている障害者に優しい街作り「バリアフリー」構想で障害者が世間にでやすくしてくれている。ところがこれが意外な弱点がある。
それは「すべての障害者に都合よくは出来にくい」現状がある。
例として車いすや足の運びがスムーズでなくなった方にとっては「歩道など段差をなくす」事が大切である。
しかしこれがまた私たち視力障害者にとっては困るのだ。段差をガイド代わりに白杖歩行をするとすごく楽なのだ、歩道など歩いていて杖が段差を感じるとそれ以上進めば危険とわかるのだ。だが平らな道は進行方向を見つけにくく行きたい方向に歩けなかったり、曲がって歩いていても広い所では気づかず目標の地点につけなくなってしまう。
そこで視力障害者の為に音声信号や点字ブロックを歩道に設置してくれるのだ。
だがここにも大きな問題がある。
歩道の放置自転車やおしゃべりに夢中の女子高生やおばさんたちが道をふさいでいて役に立たない時が少なくない。点字ブロックを頼りに歩いている者にとってこれは致命的な障害となる。
このような些細な行為が「国民の血税を無駄」にしており結果的に障害者の社会復帰を後らせ、時には、道を絶ってしまっている。
そして社会復帰出来ない障害者の為に年金をせっせと支払ってくれる「ありがたい方々の一人」になってしまっている。この矛盾に気づけばきっと多くの人が障害者の社会復帰に対して理解をしめしてくれるのでしょうが・・・

そんな愚痴をいっていても始まらない!
明治以降女性が社会に進出した時にはこれ以上の多くの障害や世間の偏見に負けない強い意志が必要だったはずだ。自分がパイオニアだとは思わないけど少なくとも未だに自宅に閉じこもっているだけの視覚障害者(それ以外の方でも歓迎だが)の人にとって「自分だけが」とか「もう何も出来ない」などと後ろ向きの発想から脱出していただきたいのである。
私は本来「楽天家」で物事をあまり深く深刻に考えない(もっと考えてから行動しろといわれる)タイプの人間だがさすがに自分の視力が奪われていく時期は落ち込んでいた。
2002年初頭に仕事が出来なくなったのだがそのわずか半年前まで車の運転をしていたのだ。若干視力に不安が出てきたので車を手放したらその後は急な坂道を転げ落ちるがごとく一気に視力が失われていった。
極端に話せば日に日にどころか朝見えていたのに夕方には・・・そんな感じです。
当初困ったのはバスに乗るのに苦労するようになったことだ。行き先が見えないし、空席が判らないのだ。
そんなこんなで外出は出来なくなってしまったのだ。
つまり買い物や銀行にも一人ではいけなくなったのだ。
私のように視力が徐々に(とは言っても一気にの気分だが)視力をなくす人はそれを受け入れることが出来るようになれば、ある程度の対策と準備ができる。
だがある日突然怪我などで視力を失うとその時間がないので気持ちを切り替えるまで、なにも出来ないはずである。
私が施設に通い始めたのは以前ここの所長から「生まれながら見えない人より君たちの方が不幸かもしれない」と聞かされた事が大きい。
もちろん光を感じたことがない方にとっては「一度でも見てみたい」との欲望があるだろうが、今まで出来ていたことが出来なくなる苦しみや不安を感じる事はない。骨折などした後の「リハビリ」と同じような事を行うが失われた視力が戻ることはないのでその状態でいかに以前の生活に近づくかがテーマになってしまうのだ。
そんな私の胸の内を理解してくれていると思っただけで随分と気持ちが楽になった気がしたからだ。

今後は自分にどこまでできるのか?自分の気持ちが続く限りいろいろな物に挑戦しようと思う。
100㍍を10秒台で走れと言われても出来ない人がほとんどだが、九九が言えない人はあまり多くないのだ。
私の先輩たちが出来たことなんだから、とりあえず挑戦!してみて「やっぱり無理」とか「案外簡単じゃん」と一つ一つ確かめてみたいのだ。
だからこそ、社会全体で障害者を支援とまでは言わないがせめて「社会復帰」の邪魔はしないでいただきたく思うのである。
しつこいようだが税金や年金を支払わずに貰うだけの人を一人でも減らすことが国民全体の利益につながるのだ、との認識を持って頂ければそれほど難しい話ではないような気がするのである。

点字奮戦記や白杖歩行編など参照してください。


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コメント 1

koyuki

いたずらバニーさんはじめまして。
トラバさせていただきました。なんだか今まで何事もあまり考えていなかった自分が恥ずかしくなります。
他の記事も読ませていただきますね。
by koyuki (2005-05-17 00:46) 

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